歩き遍路からの後遺症無き社会復帰

良くへんろは修行の場と言われていますが
何度も言うようにある一部の方にとってはそ〜とはならない場合があります。

お接待はへんろにはなくてはならない有難い行為ですが
それを目当てにしてへんろをして毎日を過ごしている方も
増えてきているよ〜です。

前書きにも登場しましたへんろ部のアニキことK田さんの話に
よると2001年にわたくしたちが周った時よりかなり
そっちの方々が増えているそ〜です。

わたくし的なへんろ感で恐縮ですが、
へんろは一応は宗教的な修行かもしれませんが
おおかたの一般人から見ると旅の延長だと思います。

旅に出る理由は日頃のストレスの解消だとか
いろんな問題から一度離れてみて自分のパワーを充電する

といった感じではないかなと思います。
(このことはわたくしの動機のひとつでした)

ところがへんろを実際してみるとかなり四国の方から敬われます。

旅も終わる頃のある日、ちょっと年のいったおばあちゃんから
呼び止めてお接待をいただきました。
その時になんと拝まれて泣かれてしまいました。

なんで、ど〜ゆ〜意味で泣かれたのかは聞きませんでしたが
わたくしに何かを感じたのは間違いないよ〜でした。

ただ、わたくしはそんな修行と言えるよ〜なことはしてません
でしたし、後半(特に香川県の頃)ではへんろ部の連中と一緒に
歩いてたのでほぼ遊んでたのに等しいのではなかったのかと思います。

その時、ちょっともらい泣きをしてしまいました。
涙ではなく気持ちが高ぶりました。

そのよ〜なことは毎日ではありませんが
そんなことが毎日起きるとどっかで俺は偉いのか?と
勘違いをし始める方も出てきます。

1周目でも濃いキャラクターの方なら
お接待をしていただいた方や、善根宿関係の方からは
気に入れられるのでそ〜ゆ〜意味でもへんろに嵌まってしまうかもしれません。

ですが、へんろというのは一時の「休憩場所」とか「充電場所」だと
思いますのでいずれは地元や現世に戻らなければ
いけません。

それを理解していても「俺は四国で修行するからまだへんろ辞めない」
とかある意味い〜訳をしてず〜っとへんろをしている方がいます。

人生の一つの選択肢という意味ではそれもありなのかなとは思いますが
その前提は四国の方からの「お接待」や「托鉢」といったことを頼りや
当てにしているのが現状です。

お坊さんの修行の一つに「乞食(こつじき)行」というのがあります。
ただ、お坊さんの場合はいつまでもそれをするわけではありませんが
へんろの場合はそれを一生続けていてもい〜と受け取られている場合もあります。
でもだからといってそれをいつまでも続けていってもど〜かなと思います。

どなたもはじめは恥ずかしいとかみっともないとか思って「托鉢」などを
するそ〜ですがすぐに慣れるそ〜なのでそれにどっぷり浸かってしまうと
薬と同じで抜けれなくなるよ〜です。

わたくしのへんろの知り合いにも抜けれなくなった方が何人も居ます。
はっきり言ってその慣れが出てきますと毎日集金に行く感覚で
托鉢ができてしまうよ〜です。

四国ではデパートの前にへんろが良く立っています。
わたくしは一応へんろ経験者ですが、そ〜ゆ〜方には一切入れませんでした。
良く見ると年齢的には団塊の世代が多いのがなんか切ない感じがします。

へんろをど〜活用するかは個人の全くの自由であり責任もありますが
わたくし的にはへんろはあくまで途中で通り抜ける道であって
いずれはそこで得た体験を元にして現実社会に還元していかない
といけないのでは
ないかなと思っています。

いろいろ個人個人の事情はあるかとは思いますが
へんろを通じてわたくし的にわかったことはへんろが修行なのではなくて
現実世界の方が修行であるということでした。

またちょっと真面目な話になってしまいましたが、皆さまの場合はど〜なるでしょうか??
それはやってみてからのお楽しみです!!

投稿情報 : 2005/08/28

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